『山猫』における生と死の連続と非違続 : 地中海的死生観の一形態
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概要
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ジュゼッペ=トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説『山猫』の出現が、第二次大戦後のイタリア文壇における一大事件だったことは広く知られている。広範朗にわたる読書経験と深い文学的教養の裏付けがあったとはいぇ、シチリアの一隅で、世間とはほとんど没交渉の生活を送ってきた、貴族階級出身の孤独な一知識人が、間もなく六十歳を迎えようという年齢に達してからはじめて試みた小説が、出版されるやたちまち、一種異様ともいえるほどの熱狂的な迎えられ方をしたのである。いわば『山猫』フィーバーとでもいうべき現象を惹きおこし、イタリア語版だけで延べ一〇〇万部を越す超ベストセラーになったばかりか、諸外国でも大きな反響をよび、十五ケ国語に翻訳されるという勢いを示した。この『山猫』人気沸騰の背景には、いくつかの非文学的要因が働いたといわれている。まず、作者の生存中に出版の希望がかなえられなかったという悲運に対する同情があった。そして生前の出版実現を妨げた元兇の一人が、もちこまれた原稿に否定的評価を下した文壇の大御所エリオ・ヴィットリーニだったことが判明したとき、文壇人が示した反応は、ほとんど常軌を逸していたのである(肺癌で死の床にあった作者のもとに、刊行不承諾の最終回答が届いたといわれる)。賛否両論はげしくいりみだれるうちに、ゲィットリーニの文学的鑑識眼に対する不信までとびだす始末だった。そしてもう一つ、ほとんど職業にもつかないで一生を送ったシチリア貴族という、現代では珍しい作者の経歴も、一般のロマネスクな好奇心を刺戟したことは疑えない。しかしいうまでもなく、こうした二次的、附随的な要因によって、劇的としかいえないような成功のすべてを説明できるはずもないだろう。ではいったい、この小説のどこに、これほどにまで広汎な読者を惹きつける魅力がひそんでいたのだろうか。ページを開けば誰でも気づくように、作者の態度は、新しがりの批評家や文学志望の若者を喜ばすような、実験的精神や前衛的手法はもとより、同時代への関心やアクチュアルな姿勢ともまったく無縁である。一部でスタンダールの影響がささやかれたように(事実スタンダールはランペドゥーサがもっとも愛読した作家であった)、むしろ小説の世紀といわれている十九世紀風の正攻法で書かれた小説であり、お望みなら後衛的(!)といってもいいくらいであって、そればかりか作品の構成面の破綻を指摘する評家にも事欠かないのである。私は、『山猫』に対する一般のイタリア人の反応を調べたわけでも、そうした関心もとくべつないが、二十年以上も前にはじめてこの作品に接したときの感銘をあらためて反芻した結果、次のような結論を下すにいたった。ここには、たんにシチリアきっての名門サリーナ家の当主ドン・ファブリーツィオ公爵の波瀾の半生や、リソルジメント終結期からイタリア統一へといたる激動の時代のシチリアが描かれているだけではない。事実それには違いないのであるが、同時に一つの全体、あるいは自己完結的な一つの世界、その大いなる生と死がじつに見事に描きだされているのであって、この世界に入りこんだ読者は、長い時間の堆積と、ふかぶかとした空間の広がりのうちに、全身が丸ごとすっぽりゆだねられるのを感ずるのである。さらにこの一巻は、何百年もの歴史をもつ名門サリーナ家の滅亡の物語としてとらえることもできる。家であれ国であれ、あるいは一箇の文明の場合にせよ、滅亡はどこかひとの心を惹きつけるものがあるようだ。それはおそらく、一つの世界の死、生の中断ならぬ完成としての死に立ち合うことによって、われわれは、日頃触れることのできない全体の姿を垣間見ることになるからであろう。しかしありきたりの小説や歴史書に描かれた滅亡に、こうした幸福な偶然の実現を期待すべくもないのであって、『山猫』こそその稀なる達成ということができるのではなかろうか。そしてこのサリーナ家の滅亡がもたらすふかぶかとした完成感は、ほとんどノスタルジックですらあるのだ。『山猫』が職業文学者や文学好きの読者の域を越えて、広く一般の生活者を魅了した秘密は、おそらくここにあるように思われる。ノスタルジックな死、そしてつねに生の背後にあって、あらわな姿こそ見せないまでも、そのたしかな現存によって生全体を透し絵のように浮びあがらせる死、これこそ、文明という名の、等質で無機的な時間の侵蝕にさらされて生きる現代の読者を、根元の生へと甦えらせる力だといっていい。さらには、その生の意味を解きあかし、紡ぎだす場、いわば聖なる次元とでもいうべき存在をまざまざと感じさせる秘鑰なのである。
- 1984-03-15