アントニオ・グラムシの知識人論をめぐって : ≪常識 senso comune≫ 概念との関連で
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概要
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人は、ある世界像といかにして「出会い」それを「生きる」に至るのか。また、ある首尾一貫した体系的・組織的な「世界像」が、民衆の不定型で非体系的な「日常的知」といかにして「親和性」を持ち、いかにして、それを「支配」するに至るのか。さらにまた、ある支配的な世界象の下にある社会が、新たな別の世界像によって「突破」され、再構成される過程は、いかにして可能となるのか。こうした問題への視座は、社会学においては、「知識社会学 Sociologia della conoscenza」と称される分野において設定されることになる。「知識」の社会的被制約性、あるいは「存在拘束性」(理論が、その外部から--すなわち理論外の社会的条件によって--拘束されている)という事態を、その考察の対象とする中で発展してきた社会学の一分野としてのこの知識社会学は、現在、一つの転期を迎えようとしている。第一次大戦後、M.シェーラー Scheler および K.マンハイム Mannheim 等によって開始された知識社会学は、従来、「世界観」(首尾一貫した体系的・組織的な知)をその対象として設定していた。ところが、近年、P.バーガー Berger を始めとする「現象学的社会学」と呼称される潮流が、そうした「世界観」学としての知識社会学を批判する中で、「人々が、その日常生活で<現実>として<知っている>ところのものをとりあげねばならない」とし、「<観念>よりも、常識的な<知識>こそが、知識社会学にとっての中心的な焦点にならなければならない」と主張するに至っている。従来の知識社会学が「世界観」をもって人間の「知」を代表させ、人間の知の展開を、この世界像から下向的に描いたのに対して、バーガーらの作業は、日常的知を起点として、上向的に世界像へと向う、という構図をとって、人間の<知>の展開を描いている、といってもよいだろう。世界像的知と、常識というより日常的な知とを各々対象とする二つの対照的な知識社会学の潮流に対して、アントニオ・グラムシにおける、この領域をめぐる考察は、両者を媒介する、あるいは媒介しうる内容を持っているのではないかと思われる。必ずしも体系性・組織性を持っているとは言い難いグラムシの諸著作を(特に「獄中ノート」を中心に)、冒頭に示した問題意識--世界像と日常的知との「親和性」、両者の布置連関、また両者を連結させる装置への考察--に沿って、いわば「徴候的」に再構成する中で、(知識)社会学における、新たな視点を、政治社会学=支配と変革の理論との関連の中で剔出する作業。本稿に課せられた基本的な任務の所在は、まさにこの点に存在する。
- 1981-03-31
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