ペトラルカのラウラ
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
フランス文学史を繙く時、ペトラルカがフランス文学に及ぼした影響は、並々でないことがわかる。しかしながら、実際のところ、今日殆んどペトラルカは読まれていない。第一、大きな古典内外叢書の様々な組織による刊行は多いが、ダンテは収録されても、ペトラルカは常に除外されている。今のフランスでペトラルカの仏訳は入手出来ない。苦労して入手したとしても大体二種類。即ち古い刊行による「トリオンフィ」とソネット九十九の伊仏対訳と、あまり感心出来ないソネット抜粋集だけ-と云う現状である。フランスの文芸史家は、好んで内外の文豪の伝記に筆を染めた。しかしペトラルカを避けるのが、イポリット・テエヌ以来の奇妙な伝統となってしまった。それにも拘らず、図書館に行きペトラルカの索引のカードを繰ると、実におびただしいばかりに参考書がある^。これらの参考書を読みあさると、ペトラルカの読まれない原因が理解される。と云うと、逆説的ではあるが、この参考書の著者の大部分は、ペトラルカが住んだヴォクリューズ地方の夢見勝ちな文芸愛好家-と云ったタイプ。上っ面な史実の上に立って、ペトラルカの愛人ラウラと云う郷土の女性を、ひたすら夢物語に空想で描いているのである。云わば、一種の牧歌的物語である。こうした物語がペトラルカを讃えれば讃えるほど、ペトラルカは、生きた現実世界から隔離され、現代とは無縁の聖上の詩人にされてしまった。テエヌ以来、科学的方法論、研究方法を採ろうとする文芸史家達も、群をなす夢見勝ちな郷土の文芸愛好家を敵にしてペトラルカを雲上から引きおろそうとしない。それ以前の仕事が、沢山あるからである。しかし、ダンテの「ベアトリイチェ」の象徴的存在に対し、あくまで実在の具体的女性であったと云われる「美しいラウラ」。このラウラの実際の生涯や運命を知りたい-と思う気持は、僕にもある。それに、いろいろと調べてみると、今迄定説の如く云われていたアベ・ド・サド(Abbe de Sade)の「ノーベのラウラ」は、決して信用出来るものでないことも理解した。以下、様々なラウラ説、その説に対する疑義、その他について、紹介しよう。
- イタリア学会の論文
- 1954-12-30