イタリア言語学 (1939-1979)
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概要
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イタリア言語学とは、イタリアにおける言語学とイタリア語学とを指すことができるかもしれない。一九六七年に設立された「イタリア言語学会」Societa di Linguistica Italiana (略称=SLI)という名称にも象徴されるように、こんにちのイタリアにおける国語学自体が、言語学とのつながりを再認識しながら、さらに国際的性格をも呈しているのである。ここではこのような国語学を中心とする最近のイタリア言語学を理解するために、これまでイタリア言語学がどのように発展してきたかを概観してみたい。だがそのまえにまず次のことを指摘しておく必要があろう。広い意味においては、いわゆる俗語が意識されていらい、ラテン語対俗語、つぎに各地の俗語対国語といった国語問題を背負うこととなったイタリアには、はやくから Dante の『俗語論』、クルスカ学会の設立のように、言語に対する関心がみられる。とはいえ、イタリア語、あるいはロマンス諸言語の真の起原が比較言語学の誕生によりはじめて解明されたように、イタリア語の科学的研究の歴史も、言語学がその方法論を確立した比較言語学から始まるといわねばならない。そして言語学史に登場する最初のイタリア人は青年文法学派を批判した印欧語比較言語学者、ことにラデン語研究、それを収めた「イタリア言語学紀要」 Archivio glottologico italiano (略称=AGI)の創刊(1873)で知られる G.I.Ascoli (1829-1919)である。比較文法の方法は、歴史の知られたロマンス語の分野に適用されてはなばなしい成果を収めることとなり F.Diez(1794-1876)の後を継いだ W.Meyer-Lubke(1861-1936)はその Grammatik der romanischen Sprachen, Leipzig, 1890-1902), Romaniches etymologisches Worterbuch, Heiderberg 1935.などとともにイタリア語には Grammatica storica della lingua e dei dialetti italiani, Milano, 1919を、つづいて J.Gillieron (1854-1926)の言語地理学は「語ともの」Worter und Sachen 派の運動と結合して、K.Jaberg (1877-1958)とJ.Jud (1882-1952)による Sprach-und Sachatlas Italiens und der Sudschweitz (1928-1940)を残し、さらにこれに K.Vossler (1892-1949)の観念論の影響が加わると、ロマンス言語学史上に重要な地位を与えられる二人の学者 M.Martoli(1873-1946)とG.Bertoni(1878-1942)を生んだ。それぞれ Introduzione alla neolinguistica, Geneve 1925, Programma di filologia romanza come scienza idealistica, Geneve 1922 によって知られる。言語地理学、観念論と並んでさらに二十世紀におけるロマンスおよびイタリア言語学にとって第三の源泉をなすのが F.de Saussure の『講義』Cours de linguistique generale, Paris 1916 である。とはいえ歴史主義の優勢なイタリア言語学において構造主義への関心が高まるのは遅れて一九六〇年頃からになる。筆者はすでに Ascoli の AGI 創刊の一八七三年から一九七三年までのイタリア言語学に触れた際、その歴史を Lingua Nostra(略称=LN)の創刊(一九三九)をもって区切ることにした。(やがて二人の観念論的ロマンス語学者が相ついで亡くなり、観念論批判も起こり、政治的にもこんにちの共和制体が築かれていく時期でもある。)ここでは一九三九年以後を概観したい。
- イタリア学会の論文
- 1980-03-10