コーラ・ディ・リエンツォについて : 文藝の世界に与えた影響
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概要
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十四世紀半ば、《バビロン幽囚》による教皇不在と貴族たちの悪政で腐敗しきったローマに、古代の栄光を再興し、キリスト教の聖地である永遠の都ローマを中心にイタリアを統一することを夢みて、グラックスやスピキオのごとく民衆の前に登場しながらも、具体的な政治理念の欠如と果しない自己顧示欲のために、当時の複雑な国家情勢の中でドンキホーテ的な道化師として踊らされ、三日天下の後に、かっては彼を畏敬の念で熱狂的に迎えた民衆の手によって無残な死を宣言される一ローマ市民コーラ・ディ・リエンツォの生涯は、人文主義の父と言われる桂冠詩人ペトラルカとの触合いを通して、十四世紀(トレチエント)の興味深い一研究材料である。しかしコーラを知る上で困難なのは資料が乏しいことであり、それは、匿名(アノニモ)の一ローマ市民によるコーラの伝記と、コーラとペトラルカの間で交された書簡の二つにすぎない。前者の『伝記』に関しては、すでに池田廉氏が学会誌第十五号に紹介されている。ここでは後者のうち、ペトラルカのコーラ宛書簡-現在まで発見されているのは八通-から最初の書簡と、近代から現代までに前述の『伝記』からモチーフを得て書かれた作品を簡単に紹介しながら、コーラの生涯が、詩人、作家、作曲家などの芸術家に与えた精神的影響を考察してみたい。
- イタリア学会の論文
- 1974-03-20