美術批評の言語について
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概要
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ここで対象とするのは、主として現代イタリア語の散文の一変種としての美術批評の言語であり、それがいわゆるlinguaとどのような関係にあるか、また常用語としてのlinguaからどのように異っているのか、あるいは逸脱しているのかを検討してみたい。そのアプローチの方法は、個々の美術批評家の文体を吟味することによって、"parole"にもとづく文体論の立場をとることになるが、ここではそれらの批評家の文体上の個性を浮き彫りにすることが主たる目的ではなく、むしろ言語史の観点に立って、一見こんとんとした二〇世紀のイタリア語の散文の多様な様相と発展の中に美術批評の言語を歴史的な背景において捉らえ、位置付けるという作業が要求される。しかしこれはあまりにも大きな課題であり、ほとんど未開拓な分野であるとさえいえる。従って今後多くのデータを収集した上でなければ、不可能な作業であろう。それには、たとえば現代イタリア語の語いに現れる美術批評に関する用語の頻度を調査し、客観的、数量的にそれを位置付けることも必要であろう。そのような試みが全くなされていないわけではないが、なお将来の課題であるといえよう。ここでは、美術批評の言語に関し、いくつかの問題点をかかげ、何人かの著述家の文体を吟味し、いくつかの示唆を提供するにすぎない。
- イタリア学会の論文
- 1974-03-20