ダンテと天の説
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概要
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月の斑点の成因について、ダンテは初期と晩年とでその意見を変えている。はじめのときは『饗宴』で、つぎのように記している。:l'una si e l'ombra ch'e in essa, la quale non e altro che rarita del suo corpo, slla quale non possono terminare i raggi del sole e ripercuotersi cosi come nell' altre parti ; Convivio. II. 72〜76その一つは、そのうちにある陰影で、これは月の物体の稀薄なことにほかならない。そのうえには日光がよく停まらないから、ほかの部分のようには反射しないのだ。それは、月の表面には密度の濃いところと薄いところとがあって、薄いところには太陽の光線がとまらないから、その部分の反射がよわく、したがってそれが月のくまになる、といおうとしている。ところが、晩年になって、『神曲』の天国になると、その同じ現象をダンテはつぎのように書いている。Da questo cielo, in cui l'ombra s'appunta Che 'l vostro mondo face, …………Par.IX. 119〜120. ひとの世の投げる影、そのとがった端になるこの天は、とあって、これは地球の影の尖端がその球体の上にうつったのだ、といっている。もっとも、この場合は月ではなくて水星だが、ともかくも、近代の天文学説に近い解釈をしている。すくなくとも、ダンテは『饗宴』と『天国』とのあいだで、天球にある斑点のことで、重大な天文学的な意見をちがえている。これはどうして可能であったかと考えてみる。ダンテの当時の状態では、追放時代だから、天文観測を実際に行なったとは考えられない。してみると、彼は天文学書について、その理論をたしかめたと考えるほかないのである。
- 1973-03-20