レオナルドの普遍性 : "La scienza e vita civile nel Rinascimento italiano"より
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概要
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この論文"Universalita di Leonardo"は、エウジェニオ・ガレン著「イタリアルネサンスの科学と市民生活」(Universale Laterza 21)に収められているもののひとつである。この論文でのガレンの目的は、レオナルドの精神構造を解明することに向けられ、余分なことは最小限に止められているので、その補注の意味で少し解説しておきたい。人文主義の広汎な風潮の底には、人間のあるべき姿に再帰し、その本然の人間性を実現しようとする衝動と、人間に与えられたあらゆる可能性を見逃がすまいとする意志があった。このために、人間に開かれているあらゆる学問が探求され、関連付けられ総合されたが、この高貴な研究に参加し得ない「学問」もあった。それはペトラルカも述べているように、「手仕事」に属するもの、つまり機械術(artes meccanicae, artes serviles)である。建築家、彫刻家、画家などは職人であり、この人間の尊厳と係わる学問の埒外にあった。しかし彼らの仕事の重要性や高貴性の自覚は、彼らの仕草に学問(シヱンツア)としての権利を要求させるようになる。この権利要求は、学問として重要な地位を占めていた自由学科(artes liberales)のうちの「数学的」四学科(クワドリウム)と結び付きこれらをその基盤とすることによって成し遂げられるのである。所でこの「数学的」四学科は、現在の科学の分野に相当するが、学問内容は大分異なっている。例えば、算数はピタゴラス、プラトン、カバラ等によって示唆されているように、様々な徳を持つ数の研究であり、幾何学とは、これらの数の空間における比例関係や図形の高貴な性質の研究のことであり、天文学は地上界よりも完壁で高貴な諸天界の運動の研究である。最後に音楽は、ピタゴラスが発見したと言われる音階と弦の長さとの比例関係から、耳によって理解される幾何学と言われていた。結局、以上の四学科は、天界と地上界を支配している神秘的な「数(ヌーメロ)」と「尺度(ミズーラ)」の研究ということである。アルベルティを始めとする建築家達は特に音楽を建築学の基礎とし、レオナルドは、この論文で述べられているように、算数と幾何を研究して「画家の学問」の基礎としたのである。そこでこれらの学問の必須な要素である数と尺度が問題となるのであるが、これらは新プラトン主義によって位置付けられる。フィチーノによれば、神は、幾何学者が脳裏に図形の本質に思い描くように、世界のイデアを思い浮べ、次いで自然を創造した。従って神の頭脳には自然の全存在が集められており、自然の中にはそのイデアが生きている。又自然は数学的仲介物である《数、尺度、重さ》を通して神の言葉、神の合理性を反映する。つまり、数と尺度は、神のイデアの形式であり、自然を統べる理法でもある。一方、人間は神と世界を結ぶ輪、「世界の中心」(ピコ・デルラ・ミランドラ)であり、人間の頭脳は神の理性の光を受けている。従って、共に神に基礎付けられた、自然の合理的構造と人間の理性との照応関係から、知が成り立つのであり、確実な学問が設立し得るのである。哲学者や神学者は、自然の根源に「神の印」であるこの数を発見することによって、神に向うことになるであろうし、芸術家は自然の事物の奥底にこれらの数学的理法を発見するを導ことによって、絵画に至高の調和と均衡入し、「自然と競う」作品を作ることができるだろう。神の創造行為と人間の創作行為の相違は、神が至高の理法である数や尺度に従って内部から素材を造形するのに対し、芸術家は(多くの場合)偶然の理法によって外部から素材を造形することにあるからだ。それ故レオナルドは、絵画を描く前段階として自然の「科学的」探求に努め、自然に内在する理法を追求したのである。そしてこのためにこそ、彼の絵画は学問(シヱンツア)となるのである。
- イタリア学会の論文
- 1972-01-20
著者
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