十三世紀トスカナ庶民詩の流れとアンジョリエーリの文学
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
十三世紀初葉のイタリアでは、諸地域に俗語文学発生の機運が動き始めていたが、就中抒情詩のジヤンルの発展は著しいものがあつた。そして其のことは、古典時代の抒情詩が主として厳格に文学的伝統の上に築かれている事実と密接な関係をもつているようである。つまり、十三・四世紀を中心とする最初の抒情詩は、所謂南仏プロヴアンスの宮廷風恋愛詩をイタリア俗語に移殖し模倣することから出発し、その文学的規律とも言うべき一定の主題上の掣肘を受けながら、詩人達がその限界内に於いて歩一歩と新しい創造の境地を展開して行くことによつて形成されたと考えられるのである。事実上、他のロマン諸地域に較べて約二、三世紀ほど後進しなければならなかつたイタリア俗語文学が、先づ黎明期に先行の外来文化の遺産を継承したことは非常に有利なことであつたし、殊に抒情詩のそのような方法での継承のしかたはその速やかな発展を未来に約束するものであつたと考えられる。扨て同じ西欧文化の影響ではあるが、叙事詩がフランス吟遊詩人(トルヴエイル)の伝承によつて漸く十四世紀末期頃北伊で隆盛を見るのに対して、この抒情詩の勃興は十三世紀も初頭に遡つて考察されるのであつて、文学史家は概説の中で稍浪漫的に、十二世紀末期から次の世紀に亘り発生した南仏のアルビジョア十字軍の悲惨なトゥルヴァドゥール断圧事件から書き起すのを常とする。初期イタリア抒情詩の歴史的な輪廓を把握しようと試みて、こうしてフェデリーコ二世皇帝におけるトゥルヴアドゥールの活躍のみを重視し、<シチリア詩派>から<過渡期詩人群>、さらに<清新体派>及び<ペトラルカ詩派>をも含めて南仏抒情詩の流れをひく所謂ポエジア・ダルテの一元的な発展過程を追おうとする試みはよく見うけられるのである。勿論こうした詩の潮流が当時の詩壇の主要なものであることは誰しも疑いを容れない。だがこうした一元的な系譜のみを追求して、同時代における他の諸地域の俗語詩発生の機運を看過してならないと言うことを豫め述べて置きたい。
- イタリア学会の論文
- 1953-11-30