「ある皇帝の変身譚」と「ニーラカンタ鳥変身譚」について
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概要
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バーナード博士が、死者の健康な心臓を死を宣告された生者に移植して以来、死の宣告を受けた病む心臓に置き換えるために、若く強い健康な心臓を見出そうとする探求や焦操は、もはや珍しいことではなくなっている。しかし、この探求、期待や不安はまったく新しいものではない。マルパ(Mar-pa)の伝記には、中世チベットのあの広漠とした荒地でおこなわれたこの種の探求-息子の"心(しん)"(il principio vivente)を移すために、自分の弟子たちに無傷の死骸を捜させたこと-が書かれているが、これは私にバーナード博士を思い出させる。さらにまた、ローマ人たちは、ある諺を持っていた。(ローマ人たちにまで遡ることは確実にはできないことだが、おそらくこれは中世ラテン語からきたものであろう)。すなわち、mors tua, Vita mea汝の死は我が生、という諺である。けだし、真に世界は大いに変わってきたか、疑いたくなることではある。しかし、その結論は明らかであろう。つまり、誰も死を望んでいない、死ぬことを非常に恐れてきた、そして、生を引き延ばすことに性急なあまり、現在東京で論じられていることでもあるが、死とは何かということをまで忘れてしまった、ということのようである。事実は、依然として、誰も死ぬことを望んではいない。それ故、宗教は、彼岸への望みを最も現実的なものとするために、その望みへの戸口を開くことを急いできたし、彼岸に至るために、多かれ少かれ安易な道をすら開いてきた。迷信は、この宗教に寄生動物のようにからみついてきたのである。そしてこの事実は世界の文学にしばしば興味ある主題を与えてきた。もし人間が死ぬことを恐れてこなかったならば、またもしキリスト教が彼岸への望みやそこに至るための道を提供しなかったならば、「神曲」のようなものは生まれ難いものであったであろう。しかし、「神曲」以外にも、この主題を扱った作品は、ヨーロッパのものであれ、アジアのものであれ、その数は極めて多い。生を延ばすべきか、死を欺くべきか、誰が正しく言いうるだろうか、未だ死の何であるかを知らない我々にとって、これは断言し難いことである。正確な月日はもう思い出せないが、多分三・四年程前に、私は"Collezione del Classici italiani"の中にある"Novelle del Cinquecento"を読んだ。これらの作家のうち、とくにCristoforo Armenoが強く私の心に残った。彼の小説の中に、ことさら興味をそそられるものを見出したためである。というのは、その物語は、Mar-paの伝記で読んだものや、Jacque Bacotによって出版された"Avadane dell' uccello"(鳥変身譚)にきわめてよく似ていたからである。この二つの物語、すなわち、イタリア語で書かれた物語と、チベット語の物語とを要約して、一方はあまりにもイタリア的な、また他方は全くインド的な、とその雰囲気は異なるにせよ、まことに著しいその類似を浮きぼりにしてみた後に、資料が欠けているのでその道、つまりその物語の真のよってきたる所を遡ることは私には不可能ではあるが、イタリアにおいてはこのような物語は生まれ得ないこと、またそれは確かにインドにその起源を持つに違いないことを示したいと思う。
- イタリア学会の論文
- 1969-01-20