イタリアにおける基層理論の形成 : アスコリに至るまで
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概要
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一九三八年Scritti in onore di A.Trombettiに発表されたBenvenuto Terraciniの論文sostratoは、基層理論に関するきわめて詳細な、独創性のある著作であり、それ以来約三十年をけみした今日もなお、その価値を失わず、この分野のもっとも基本的な文献として光彩を放っている。今世紀の言語学において基層理論の演じた役割の重要性を浮き彫りにするためには、やはりTerraciniのこの論文の書き出しを引用しなければなるまい。「今日史的言語学は、諸学説やきわめて多様な新しい諸傾向を擁する非常に広範な領域にわたる複合体であるので、それらすべての傾向の中から基本的な主流をなす傾向、すなわち現代の動向を前世紀のそれと比べて特徴づける傾向を指摘することは、批判するものにとってなかなかむずかしい仕事である。恐らく優勢な基調は、言語学上の個人の資格が、集団のそれにまして、ますます深く再認識され、確立されて来たことであろう。そこから必然的に言語の現状の諸相を好んで考察しようとする気運が生ずる。この方向は、古生物学的な問題や、衰退した諸相と死滅した言語の再建を試みる言語学について、過去の世代及び最も初期の世代の言語学者達から、とだえることなく受け継いできた関心を大巾に低める結果をもたらし、それに反して、他の言語学者の間では、同じ問題を新しい基礎の上で、新しい方法上の要求にもとずき再検討する必要を生じさせているのである。従ってこうした学説の伝統的な潮流に最も忠実な研究者にとっては、基層の問題は、もっとも関心のもたれるものであり、その理論的価値からしても、またそれが新しい方法や予知せざる発見に我々を導き、比較や再建に対して我々の興味をかき立て、あらたに呼び起すという点においても、我々の世代の最も力を入れた問題であることを再認識しなければならない。言語学者は、諸島のケルト語の層の下に、ブリティン諸島の前印欧語の基層の痕跡を勇敢にもたずね求める。多くのアジアに関する問題は、根本的には、基層問題にほかならない。基層は、地中海民族の問題に新しい道を開いた。基層は、エトルスク語、リグーリア語、バスク語に関する諸問題のうちの一つならず多くのものにおいて基本的な糸口なのである。………最古のイタリアの言語上の様相を明かにするのには基層にたよらなければならない。アスコリ以来基層の問題は、ロマン諸語の起源の歴史を支配し、また印欧語方言学の何らかの貝体例を引用するならば、ゲルマン語の子音体系の特性は、グリム以来、基層という事実に帰せられており、その主張は持有なものである。それでも十分ではないと云わぬばかりに、言語変化の性質と言語の推移に関し、今日理論を立てるものにとっては、結果として肯定されようと否定されようと、ともかく基層の作用という事実は意識されているのである………」基層別論は、ある点では行き過ぎを生じ、いわゆるceltomaniaやiberomaniaの出現をみることになったが、現在もなお依然としてヨーロッパの伝統的な言語学においては、きわめて大きな比重を占めていることは否定できない。特にイタリアでは、基層理論の形成者とみなされるアスコリの多大な影響もあって、基層理論を支持する傾向が優勢であり、それに関するすぐれた業蹟が蓄積されている。すぐにも念頭に浮かぶのはV.Bertoldi, G.B.Pellegrini, C.Battisti, G.Alessio等の名である。イタリア以外では、現在J.Hubschmidtが、前ロマン語、前印欧語の分野できわめて重要な仕事をしている。一方基層理論に対して懐疑的な学者も少からずあり、すこし古いところでは、Meyer-Lubke, von Ettmayer, wagnerがあり、現役の学者では、G.Rohlfsが、その最たるものである。彼のZur Methodologie der romanische Substratforschung(Substratomanie und Substratphobie)は、基層理論に対する警告の論文であると云えよう。ごく大ざっぽに概観しただけでも明らかなように、基層理論は、すでに史的言語学の歩みとともに、歩んで来た独自の歴史を有している。ここでは、特にイタリアにおいて、基層理論が、どのような起源を持ち、それがアスコリにおいてどのように形成されていったかを、ヨーロッパにおける史的言語学全般の発展を背景におきながら、観察してみたいと思う。
- 1968-01-20