ダンテの書簡
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概要
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ダンテのような特異な人間の人格や思想や同時代におこった重大事件に対する彼の態度、人生において何を欲し、なにを決着したかなどを、いっそうよく識り、定義づけるためのダンテの行動や願望や決心の直接の証拠物件として、正確な、他の品をもって代用することのできない資料として彼の書簡がある。ダンテの書簡はいずれもラテン語が書かれているが、残存しているものは少い。残存していないものについても、徴候はあるが今日まで伝わっていない。またその他ダンテの書簡だとされているものもあるが、それらは確かに偽の書簡である。ダンテ協会編纂の書簡集に収められている書簡は十三通ある。そしてその中の少数のものは、ダンテが職務上書いたもの、または他人の名前で書いたもので重要性は少い。さてイタリア文学には文学的な書簡はたくさんあるが、その中でダンテの文学的書簡は量からいえば比較的少数である。それに較べれば、ペトラカルからタッソに至る、またマキアヴェルリからカルドゥッチに至るイタリア文学のすべての大作家たちは彼らの思想と友情の証拠として自筆の多くの書簡を残しており、それらは後世の人々によって保存されている。ダンテがわれわれに残してくれた書簡の数が比較的少いのは、ひとつには、書簡は当時厳密な規創と約束と一定のスタイルと形式を守って書かねばならなかった一種の文学的ジャンルに属していたという理由にもとづくものであろう。そして、たぶんダンテはそれをペトラルカとは反対に自己の思想を表明するために適当な形式と考えなかったためであろう。多分限られた機会に書かれたものであり、またより広範囲な議論を取り扱った論文(「饗宴」や「帝政論」の様に)や詩的に高められた物語りの比喩に於ける思想の展開には適しないたぐいのものである故に、ダンテは極く限られたわずかな機会にのみ書簡形式を用いて、将来本格的な書簡集の中に収められる程の数の書簡を書こうとはしなかったのであろう。ただ単に適切な場合に於いてのみ、自己を表現するに最もふさわしい文学的な形式及び手段として書簡を用いた。そして当時書簡に公的な形式を備えようとした人々に課されていた規則に全く忠実であった。つまり、ラテン語で書き、「修辞学のクルスス」の規則に従ったのである。これは中世に於てラテン語散文を書くために作られた規範のすべてを指した。この様な規則は彼をとまどわせたが、最も感動した折に、最大の重要性と価値を持つ問題に直面して、彼の思想と精神とを精一杯の情熱と厳密で力強い理論で以て表現することを妨げはしなかった。ラテン語で書かれ、″クルスス・ディクタンディ″の規則に従っていたからこそ、それはダンテの教養の有意義な文献となっているのである。種々な様相の下に現われるその教養は、教養人であり文学者であり、市民であり政党の一員であり、思想家であり詩人であり、自己の威厳と精神的偉大さを常に意識した彼の精神像をぼかしたり変形したりするものではなかった。
- 1966-01-20