「神曲」地獄篇第二十六歌について
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概要
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「大衆に詩を、ダンテを与えよ。注釈をつけずに、あるいは、ほんの少し簡単な注を入れて、大衆版でダンテを与えよ……。大衆がダンテをどのように読むかということについて、ダンテを理解するか、それとも、間違ったとらえ方をするかということについて気をもんだりせぬように。細部で誤解することはあっても大衆はダンテを全体として理解するだろう」という、ダンテ生誕七〇〇年祭にあたってのサラガットの演説のなかでも引用された、あのクローチェの言葉を考えながら、私は筆をとりました。サラガットはさらに続けて語ります。「大衆は全体としてダンテを理解するでしょう。これこそ大切なことなので、その成果を私達は信頼しなければなりません。なぜなら、詩は芸術的に表現された真実であり、それは直接的で強力な言語を語り、想像力と心の動きを通して浸透し直感によって伝えられるものだからです。だから、だれもが程度の差こそあっても詩に参与できるのです」私はダンテ学者ではなく、また自由を愛するあまり、自分をひとつのイズム(主義)のなかに閉じこめておくこともできません。しかし、私もまた大衆の一人であり、私もまた読むことができ、それゆえ、私にもまた私がダンテを読むときに感じることを語る資格があるのです。こうして私は、ダンテを注釈するためにではなく、私がこの我々の詩人を読むときに感じたことだけを語ろうとして筆をとったのです。
- 1966-01-20