F・マッジーニ著「饗宴」-『ダンテ研究序説』からFrancesco Maggini : Introduzione allo studio di Dante, Bari 1948 II《Convivio》pp.64-72
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概要
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ダンテ哲学的思索への傾向は抒情詩のなかにも表われていたが、思想的作品をイタリア語とラテン語で著わすまでにいたった哲学研究の結実は、中でも「饗宴」であり、イタリア中を《ほとんど物乞いしながら遍歴して》まわらざるをえなくなった、この不当にも追放された作者はこれによって、不幸の中に見やった者の目に自己の威信を再び掲げ、豊かに貯えた学識を誇示しようとした。歴史上の事柄から考えて、この作品は一三〇四年から一三〇七年の間、ダンテが学問上の修行と人生経験をつんだ時期に書かれたと推定される。彼は、隣人愛に心を動かされて学問へのごく当然な欲求を持つようになり、《衆俗の教養を振り捨てて》、無智の暗闇の中にとざされている人々に同情を寄せている。自分が学者であると信じ込むのではなく、博識家相手に書いていると自負しているのでもない。むしろ彼らから学んでおり、さらに、研究にたずさわることなど出来ない人達の間ででも学問を深めてゆこうとしている。このことは《俗人》との交渉をさげすんだ教会文化と較べれば、近代性のしるしにほかならない。又、このような傾向を持った先人がいないわけではないが、彼等は、意図の明確さとダンテ作品の内容の豊かさからははるかに劣っている。一二〇〇年代には《文学を解さぬ者》のなすがままにたくさんの本が俗語に訳された。しかし翻訳した者はただ単語をイタリア語に移し変えるだけで、使いこなすまでにはならなかった。これの原型となるような、巾広い企図と学説に対する真面目さを備えた書物を挙げることは簡単ではない。せいぜいブルネット・ラティーニの「宝典」、これはしかしながら編さんが粗雑でしかもフランス語である、かそれとも小冊子ではあるが、同じブルネットによつて始められたキケロの「修辞学」の註釈が考えられる。この先人は何の意味もないわけではない。何故ならブルネットはダンテのいる時期のフィレンツェ人に最大の《先駆者》と映っており、ダンテも彼を高く評価しているからである。
- イタリア学会の論文
- 1965-01-20
著者
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