「神曲」の脚韻に於ける語彙
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概要
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ダンテは「俗語論」中でカンツォーネ、バルラータ、ソネットについて論じ、カンツォーネが光輝ある俗語に最もふさわしい形式だと述べている。然し「神曲」では全く新しい詩形を用いるとすれば「俗語論」の思想は「神曲」に到る一段階に過ぎないと考えなければならない。「神曲」に於ては事実、以前の詩よりも更に新しい言葉と韻律が用いられている。それは光輝ある俗語にふさわしい高度の芸術的な抒情詩に属するものではなくて、先ずtragediaに対するものとして作られたものであろう(「地獄篇」の中で彼の作品をcomediaと呼び、ヴィルジリオの"エイネイデ"をtragediaと呼んでいる)。とも角「神曲」はダンテが「俗語論」で取り扱ったものとは別の詩の形式に属するものなのである。「神曲」の詩形は言うまでもなく十一音綴、三行詩で、脚韻はincatenataの形式をとっている。Cosi discesi del cerchio primaio A giu nel secondo, che men luogo cinghia, B e tanto piu dolor, che punge a guaio. A Stavvi Minos orribiimente, e ringhia : B esamina le colpe ne l'entrata ; C giudica e manda secondo ch'avvinghia. B Dico che quando l'anima mal nata C ところで、注釈を頼りに注意深く読んで行くと、脚韻の語彙が時折韻外のそれと異ったものがあることに気が付くであろう。
- イタリア学会の論文
- 1965-01-20