ウンガレッティの最初の作品について : 主としてpiglio palazzeschianoについて
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概要
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ウンガレッティが初めて作品を活字にして発表したのは一九一五年の冬である。詩人の言葉通りに従えば<最も古い作品群はラチェルバ誌上に於て初めて公開された>(註1)もう少し具体的に補足すれば、一九一五年のラチェルバ誌の二月から五月までの約四ヶ月間に於てであって、作品の発表順序は次に示す通りである。[table]この表に示されたように、全部で十六篇がウンガレッテイの最初の作品となった。また、一九一五年のラチェルバ誌二月七日号に掲載されたII paesaggio d'Alessandria d'Editto及びEpifaniaが彼の生涯の数多い作品のなかでその嚆矢となったのである。もっとも、厳密な意味では、これらの作品群の以前にウンガレッティの作詩があることが判明している。パリ時代(一九一三年〜四年)に彼は若干の誌の作品をプレッツォリーニ宛に送り、ヴォーチェ誌での採択を希望している。然し、プレッツォリーニはこれらを散逸してしまい、結局公開できなかった。さて、前表の作品群のなかで※印をつけた作品については充分考慮を払う必要があろう。これらの※印の五つの作品は、一九四五年になってデ・ロベルティスが公表(註2)するまでは、ウンガレッティの詩集が幾度も再版されたにも拘らず、およそ約三十年間全く注意を惹くことなく打捨てられ埋れたまゝでいたのである。最も古い作品群であるこれらの十六篇のうち五つの作品はラチェルバ誌上及びデ・ロベルティスによる再発見の論文以外には現われなかったわけであるが、残りの十一篇の作品は一九一九年の版には全部収録されている。然し、其後入念に推敲され、或はかなり本質的に改作され、または改題されたりして、爾後の再版詩集に於て消失してしまったものもあるので、これらの十一篇の作品を整理すると次のようになった。これはPoesie disperse, Mondadori Milano 1954(2^aEd.)とラチェルバ誌の内容目次とを参考にして作成したことをお断りしておく。
- 1964-01-20