レオパルディ研究(二)
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概要
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レオパルディの場合、自ら「イディルリ」"idilli"と称した彼の詩は通常そう呼ばれている型式の詩とは概念がかなり異っている。通常の概念では、「イディルリ」とは「牧歌」とでも称すべき型式のもので、牧人や漁夫たちの会話が折り込まれ、田園生活の歓びをうたったものである。しかしレオパルディのそれには、彼の生まれ育ったレカナーティの自然がうたわれているものの、それはそうした自然に託して彼の内面を吐露したものであり、そこにうたわれている自然は彼のペシミスティックな、孤独な心に反映した自然である。レオパルディのイディルリは彼自身を、自己の内面をうたった叙情詩と云うべきもの、と云うよりもまさに「叙情詩」そのものにほかならないものである。「オペレッテ・モラーリ」((Operette Morali))の著述は一八二四年から一八二七年にかけてなされた。彼はこれを自ら「うわべは軽妙な筆致で書かれてはいるが、哲学的なもの」と云い、また、「全体として、体系的なものとして」評価されることを望んでいた。だが「オペレッテ・モラーリ」に論理的な説得力を、哲学的体系を求めることが出来るであろうか。ヴオスレルは「レオパルディが哲学と呼んだものはセンチメンタルな理屈にすぎず、詩的な散文と呼ぶのが相応しい」とオペレッテを評している。では、レオパルディが自ら「哲学」と称したものはいかなるものであろうか。この章ではオペレッテにそくして彼の云う「哲学」なるものに少し触れてみたいが、オペレッテに含まれている二十四篇の作品全てについてはとうてい述べる余地もなく、また述べる必要もないと思うので、オペレッテの巻頭にあって、その序論的な役割を兼ね、彼の云う哲学的体系なるものの全ての要素をその中に含んでいると思われる「人類の歴史」((Storia del genere umano))をもって代表させ、その内容を紹介かたがた要約してみよう。そこにはこうある。
- 1964-01-20