大正期における会津酒造業の市場展開 : 東京市場進出過程を中心に
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概要
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近代酒造業における産地の階層性の分析は, これまでおもに技術的な側面からなされてきた. しかし, 歴史的に形成され, 変動した市場側面を欠落させることはできない. 本稿は, 近世来, 最大の清酒市場であった東京市場をめぐる産地間競争のなかで, 産地と市場の結合形態とその性格が産地化をどのように規定したかを具体的に, 福島県会津若松における清酒業の事例をもとに検討した, その結果, 明治末期に至って酒質の改良と地域市場の獲得など存立基盤の整備を整えた同地方の酒造業は, 量的には東京市場への出荷が可能な段階に至った. そして大正期には積極的に東京市場へ進出していった. しかし, その市場進出は, 専ら旧い酒間屋との結合によって達成され, 自醸酒の銘柄流通を媒介としてその結合は強化されたことが明らかになった. しかしながら, 結果的にこのような市場進出形態は, 昭和に入ると会津酒造業の市場拡大を停滞させる要因ともなった. すなわち, 関東大震災を契機に進展する旧酒間屋の市場支配力の低下は, 旧酒間屋を通した銘柄販売に立脚する会津若松酒造業の市場拡大を規制したのである. このことは, 市場との結合形態と自醸酒の流通形態が, 近代における清酒産地形成過程での産地化を規定した市場側面の要因として検討されねばならないことを示していると考えられる.
- 経済地理学会の論文
- 1994-05-31