大店法下の京都市中心部における中小零細店舗 : 生鮮食料品を事例として
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概要
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1960年代後半以降スーパーが大型化し総合化するにつれて, 各地の地元小売商によるスーパー反対運動が高まった. その反対運動は大店法の成立とその保護主義的な運用となって展開した. 小稿は「全国で最も出店の難しい都市」といわれた京都市における小売紛争と小売商業政策の展開を整理するとともに, 京都市中心部の4つの地域を事例として生鮮食料品の購入施設の諸特性を実証的に検討した. 検討項目は店舗の位置, 開設年次, 利用度, 規模, 業態である. これらを指標として読み取った大店法下の京都市中心部における店舗間の競合構造は,以下のとおりである. 京都市中心部では戦前から高度経済成長期までに多くの小売市場が開設されたために, 小売市場がよく利用されてきた. しかし1960年代以降スーパーなど新しい業態が発達し, その影響は一般の零細小売店ばかりでなく小売市場にも及び, それらの利用者はしだいに減少した. 1960年代末から1970年代はじめにかけて一時的に中央大手資本による総合大型スーパーが郊外や既存市街地の縁辺部に出店したが, 1970年代中ごろから1980年代にかけての京都市中心部で発達した新しい業態の店舗は大店法の基準面積以下の小規模店舗であり, それは外来の大手資本でなくて地元中小資本が主流であった. 調査時の1987年において, 地元中小資本によるミニスーパーは小売市場に匹敵するシェアをもつに至っている. 大店法の保護主義的運用によって, 一部の地元中小資本が中央大手資本に代わって, 地域小売業の中心的地位を占めつつある. 一方小売市場の構成店舗を含むそれ以外の大半の小零細小売商は, 経営難と高齢化によって廃業を余儀なくされつつある. 1970年代中ごろから1980年代にかけて, 京都市中心部では中小小売商の間に明確な階層分解が進行した.
- 経済地理学会の論文
- 1991-12-31