シェアリング、贈与、交換-共同体、親交関係、社会
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概要
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モースは1925年の『贈与論』で、古代社会や世界各地の未開社会の人びとは物の授受を、近代社会に一般的な「交換」とは異なり「贈与」という形態で行うこと、および一方の社会ではなにゆえに贈与・贈答という形をとり、他方の社会では交換という形をとるのかを検討し、それが双方の社会における人間関係や集団間関係のあり方の相違に基づいていることを検証した。 その後未開社会の詳細な現地調査が大幅に進展し、狩猟採集民社会の居住集団(バンド)やキャンプにおける人びとの間での物の授受、とくに狩猟の獲物の分配についても詳しい調査が行われた。そしていずれの社会においてもバンドは長期的には離合集散しているのだが、獲物の肉はつねにキャンプ内の各家族に分配されることが判明している。多くの調査者は、獲物はそれを殺した者の「所有」に帰すると彼ら自身が考えていることは疑いないとしたうえで、しかも、獲物の「所有者」は他のメンバーに肉を分配しなければならないという規範が存在することを確かめ、その理由を以下のように説明している。狩猟等の能力には個人差があり、自然のままでは多く獲得し所有する者には威信が、そうでない者には前者への依存と負い目が生じてしまう。そうした不平等が生じるのを回避するために、彼らは持てる者は持たざる者に与えねばならぬという社会的規範をたてているのであって、狩猟採集民の社会は基本的に「平等社会」である。 このような見解は、物の私的所有という概念を彼らもわれわれと共有するのだと前提したうえで物の授受を解釈し、いわば幻影をとらえて提示している見解だと思われる。本稿では、筆者が調査したアカ・ピグミーのバンドにおける物の授受の検討から、「交換」でも「贈与」でもない「シェアリング」(sharing)という形態の存在と、シェアリングに基づき日々の暮らしを直接共にする「共同体」としてのバンドという見解を提示した。