二つの児童芸術講座 : 〈児童芸術講座〉と〈綜合童話大講座〉
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概要
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大正7年6月,鈴木三重吉主宰になる児童雑誌「赤い鳥」の創刊は,従来の「お伽噺」から芸術性を高めた童話・童謡を生み出す文学的運動に発展した。しかし,大正12年9月に起った関東大震災を境に運動は下降を見せた。昭和期にはいるや児童文学界は<冬の季節>を迎えることになる。大正末期から昭和初期に刊行された二つの児童芸術講座誌を比較検討することを通して,この期の児童文学のありようをさぐりたい。This paper intends to analyze the contemporary concept of "Dhat(o)wa" (a style of children's literature)prevailing at the turning point from the Taishhat(o) era to the Shhat(o)wa era,by comparing the two children's literature series: "Jidhat(o) Geijutsu Khat(o)za" published at the end of the Taishhat(o) era and "Shat(o)ghat(o) Dhat(o)wa Dai-Khat(o)za" published in the early Shhat(o)wa era.
- 大阪教育大学の論文
- 1985-08-31
著者
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