開発の二つの記憶(<特集>開発の記憶 : 序にかえて)
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概要
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開発のフィールドには主要な図式がある。この図式はこのフィールドで働くエージェントにより書類, レポート, 会議, オフィスの空間へ(から)転写され続ける。この図式が転写されるプロセスを何処からどのように記述したらよいのか。第一部では人類学の擬似自律性を想定してそこから「ケーララ」がどの様にして開発モデルとして記憶されているかについて開発体制内で働く開発学者たちによる支配的言説とサバルタンたちの対抗的言説を対比させながら議論する。開発体制が想起する「ケーララ」は主要な図式の組み合わせから作られたリアルな抽象である。特定の性向を持った開発のフィールドにおいて「ケーララ」は不必要な過剰を取り除き, 外部者たちにとって消費可能になったレプリカに置き換えられている。第二部では人類学的「自律性」を持たない現地人の立場から, 開発の始まりも終わりも無いプロセスを記述する。私は合理性を使って開発官僚機構の(非)合理性を記述するのではなく, 仕掛けとしての開発官僚機構が開発という完成した作品を作る上で官僚的フィールドに固有な図式を転写する方法をカフカやグロッスの方法に習って「不必要な部分」まで模倣してそのmodus operandiの周囲の記述することを試みた。開発のプロセスの只中では「ケーララの奇跡」や決裁文書を書く実践に典型的に見られるようにフォームだけが, あるいは開発の図式の転写の繰り返しだけが記憶されている。
- 日本文化人類学会の論文
- 2003-03-30