フィジーにおけるインド人社会 : サトウキビ栽培地域の事例を中心に
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概要
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現在、フィジーでは、フィジー人とインド人によって人口が二分されている。これは、英国植民地時代にインド人労働者が導入され、その多くがフィジーに残留した結果である。フィジーにおける植民地政策は「土着民保護」ともいえる精神に沿って行われ、植民地政府の意識はフィジー人に向けられていたといえる。しかし、フィジー人に関するいかなる政策も、表裏一体となるインド人の存在により成立した。植民地政策により、フィジーでは民族の枠組みと重なる二つの社会が常に形成されてきたのである。この二分法において、負ともいえる指標が付与されたインド人であるが、彼らは「労働すべき者」、または「労働する我々」として置かれた砂糖産業のなかで定着を果たし、共に働くことによって社会の基盤を築いてきた。負ともいえる状況が、インド人社会の形成を促してきたのであり、現在でも、サトウキビの収穫をめぐる「労働」を中心にした社会関係は受け継がれている。フィジーにおける植民地政策は、フィジー人社会の新たな「伝統」の創出につながるものであったとされるが、他方、インド人社会にとっても「労働」を通した関係を基本とした社会という、フィジーにおけるインド人社会の形成につながったといえる。
- 2002-09-30
著者
関連論文
- 上橋菜穂子著, 『隣のアボリジニ : 小さな町に暮らす先住民』, 東京, 筑摩書房, 2000 年, 200 頁, 1200 円(+税)
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