文化の政治における部分と全体(<特集>カストム論再考 : 文化の政治学を越えて)
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概要
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オセアニア人類学における文化の政治論は、オセアニアの人々が伝統とキリスト教、伝統と資本主義経済などを概念的にいかに整理しなんらかの統一のとれた全体性を希求するかという問題に焦点を当てた。この問題設定には全体性を希求する知へのより一般的な懐疑が隠されていた。かつて人類学は経済、宗教、法など社会を構成する部分を分析のレベルで何らかの全体性に統合する作業を得意とした。こうした作業は徹底的に批判され、今日根源的な部分性という意味における不確定性を強調することが民族誌記述の美学となっている。本稿ではフィジー人の知識における部分と全体の関係をめぐる論理の相克を克明に追うことによって文化の政治論に織り込まれた全体像を相対化し、文化の政治論における「政治」の内容を再考する。
- 日本文化人類学会の論文
- 2001-09-30
著者
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