観光研究の再考と展望 : フィジーの観光開発の現場から(<特集>観光の人類学 : 再考と展望)
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概要
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本論においてはフィジーにおけるエコ・ツーリズム開発計画の事例を批判的に分析する。そのためにまずエコ・ツーリズムをその代表とする「オールタナティヴ・ツーリズム」に対する批判を概観し、つぎに「観光文化」研究の必要性を強調する。「観光文化」は、観光者が持ち歩く「ツーリスト文化」とは異なり、ツーリストの文化と地元の文化との出会いの中に現出するものである。第3世界でこの「観光文化」の創出が強調される状況は不幸である。もし地元民の享受できる洗練された大衆文化がハワイやバリのように存在するなら、観光者はそれらを堪能することだろう。しかし第3世界の多くの観光地の上演者たちは、異なる文化を持つ観光者を現地なりのプログラムでそのまま楽しませることはできない。そこで必然的に「観光文化」が創出されるわけであるが、それは純粋ではなく、作られたもので、真正ではないと批判される。しかし今日の文化研究では、文化は常に構築されるものと理解されており、観光の領域において民族文化の真正性に関する議論がいかにふさわしくないかということは自明のことになりつつある。その意味で「観光文化研究」は文化研究の一つとして認識される必要がある。本論の最後にフィジー人の中では例外的な企業家の事例を紹介する。リゾート・ホテルに土地を貸している村の首長がホテルを参考にして、いかに観光業を営むかその方法を独力で学んだ。彼はまさに多国籍企業からホテル経営のノウハウを流用し、自分のものにしたのである。「知識は力なり」と主張する彼のようにしたたかなフィジー人企業家が現れることが望まれる。
- 日本文化人類学会の論文
- 2001-06-30
著者
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