バフチンとカッシーラー:『ラブレー論』再読
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概要
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思想家ミハイル・バフチン(1895-1975)の『フランソワ・ラブレー論言(1940,65年)に関して報告を行った。1920年代前半の初期パフチンと新カント派の関係は以前からよく指摘されてきた。だが,バフチンは,初期だけではなく,後期においても新カント派から決定的な影響を受けていた。パフチンのノート 新カント派のエルンスト・カッシーラー(1874-1945)の『シンボル形式の哲学(2)』(1925年)と『個と宇宙』(1927年)の要約ノートや友人マトヴェイ・カガン(1888-1937)の仕事が示唆するように,後期の『ラブレー論』はカッシーラーに近い立場から構想されていたのだ。バフチンは,カッシーラーを下敷きにして,祝祭を労働と休息,公式文化と非公式文化,生活と芸術といった一連の2項対立の中間領域=抜け穴にあるものとして,言い換えれば,それらの2項対立そのものを不確定にする場にあるものとして捉えていた。かつて浅田彰は『構造と力』(1983年)で,『道化の民俗学』(1975年)において『ラブレー論』と『個と宇宙』の類似性を直感的にだがいち早く指摘し,バフチンをヒントに道化論を展開した山口昌男の「《可能性の中心》を,「道化とは人間がメタ・レベルとオブジェクト・レベルの両方に足をかけているという事実をやすやすと受けいれ,それを笑いとともに生きる存在なのだ,という命題に」,「真の遊戯への誘惑者としてのニーチェ」「などと同じ側に求めるべきであり,また求めることができると思われる」と述べた。文献学的研究が進んだ今日,浅田のようなアクロバット的な読みに頼らずとも,かつての山口=バフチンの「《可能性の中心》」を高次のレベルでより容易にかつ精微にバフチンの(コン)テクストから読み取ることが可能となった。だが,中間領域=抜け穴での遊戯という祝祭論も前衛主義の全体主義への逆転というボリス・グロイスが指摘するアポリアから決して自由ではない。グロイスの『全体芸術様式スターリン』(1993年)の主張を敷衍すれば,中間領域=抜け穴での祝祭的遊戯の徹底化は,「アヴァンギャルド」な実験が残した「裂孔」を「未来に属する諸要素」である「民衆との内臓的な絆」で塞ぎ,過去から「自由に」引用された「諸様式」を「民衆性」の「単一性」をかすがいにして「内的に結びつけ」る「スターリン美学」=「社会主義リアリズム」に帰結する危険性をはらんでいる。とはいえ,バフチンは,散文的今において,差異をはらんで反復してくる糞尿的イメージたちにいかなる未来の美的な救済にも冷めた真面目さで陽気なあだ名を与え続けていくラブレーをこそ評価する。それは前衛主義の全体主義への逆転という20世紀文化のアポリアからの逃走の線を引くための1つのあり得べき批評的な態度であると言わなくてはならない。