近畿山間部における溜池灌漑の歴史的研究
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概要
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(1)江戸時代において極めて米作率の高かつた篠山藩の灌漑水源は, その7割余が溜池に依存し, その造営は江戸初頭から中期にかけて過半が完成された。斯る短期間に幕藩制のもとで造営が急がれたのは, 庄園制以来隷属下におかれていた耕作農民に独立の機会を与え, 本百姓化して直接的に彼らから領主が生産物地代を確保するに外ならなかつた。そしてその当初の目的は達せられ, 近世村落の成立によつて農業生産上の諸計劃が, その成員の自律性によつて或る程度維持されていた。(2)池の位置は造営の容易性から山腹の谷に多く散在し, 且池元たる山村の耕地に導水の優先権があつたゝめに, 水田の多くを有し水を特に要する盆地内が常に旱損に見舞れ, 江戸時代を通じておくれた技術によつて農業が支えられていた。(3)盆地内は水に窮乏し乍らも, 溜池が農業の発展に果した役割は大であつた。(溜池のない湧水灌漑による地域に比し)そして江戸中期以後藩経済の窮乏に乗じ, 小作料取得の土地所有者の中から藩に代り池を造営する者があらわれ, 或は村方所有の池を集中して, この地方での大地主に成長した。
- 神戸大学の論文