ルソー『ダランベール氏への手紙』におけるinstruction (<特集>教養の解体と再構築)
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概要
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演劇批判論として執筆された『ダランベール氏への手紙』のなかで、J.-J.ルソーは、共和国には劇場演劇よりも祭りが必要であると述べた。彼の議論はその根底としてinstructionを意味深い問題点としているのだが、このことはこれまでにあまりよく把握されてこなかった。本稿は、祭りの競技や気晴らしがinstruction publiqueをなしていたという内容の彼の言説の意味を理解し、ルソーが使うinstructionの語の意味内容をあきらかにすることを目的とする。 ルソーは、二つの対象から論を構成している。ひとつは、自身の演劇観と同時代の理論家たちの演劇観との対照である。理論家たちは、舞台上の芝居と観客とのあいだにおける伝播という相互作用をみている。つまり、芝居は感情の模範的な配列を示し、観客がその模範を身につけるというものである。好ましい上演は習俗や人びとの感情を改良し、人びとによいふるまいをするように伝授することになる。理論家たちはこうして劇場演劇には教育的な効果があると考えた。ルソーは彼らの見解に賛同しなかった。彼の見解では、演劇の上演は感情の理想的なあり方を提示することではなく、感情の本質を現実的に見せることである。観客は感情が反映することをたのしんでいるのである。ルソーは、劇場演劇における観客のこのような経験がinstructionとなるとは考えなかった。もうひとつの対照は、劇場演劇における観客と祭りにおける参加者との感情の状況の対照である。ルソーは、劇場演劇における観客の感情が投影することの快さにあるとみた。つまり、観客は自身を不動で不活動の状態において、自身を登場人物にひたすら同化するのであり、そして舞台上の似姿に見入ることをたのしむのである。その結果、観客それぞれは孤立する。一方、祭りにおける感情は、調和することの快さであるとルソーはみた。つまり、すべての参加者は調和のとれた競技のなかで一緒の状態を鋭敏にかつ心深く楽しむのである。ルソーは、祭りにおける参加者の経験がinstructionをおこすとみている。 以上のようなルソーの議論の内容から、ルソーのinstructionの語の意味を次のように解釈することができる。(1)instructionは教えることと学ぶことを意味しているわけではない。それはつまり、二つの部分、すなわち見せる側と見る側または対象と主体のあいだの伝播という相互関係からおこるのではないということである。(2)instructionは、視覚のみによっておこるのではなく、総感覚によっておこる。このような実際的な経験のなかで、人びとは不可視ではかりしれない自然(本性)をそして精神の奥底の自然(本性)を直感的に感知することができる。そして(3)instructionは、間接的にではなく直接的に起こる。つまり、それは現実的な対象もしくは模擬を媒介として個人的に考えるという経験ではなく、和やかな交遊のなかで自然に動きが生まれるという経験によるのである。
- 日本教育学会の論文
- 1999-12-30