存亡の危機から民族の新生へ : ピナトゥボ大噴火とアエタの生存戦略(<特集>現代の「狩猟採集民」)
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概要
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1991年6月の,ルソン島ピナトゥボ山の大噴火により,山麓一帯に住んでいた数万人のアエタは故郷を追われ,再定住地に移り住むことを余儀なくされた。彼/女らの多くは,移動焼畑農耕を中心とする噴火以前の暮らしを続けることができず,労働者として,平地民社会の底辺へと分散,吸収されつつある。表面的には,服装や生活習慣の平地民化が急速に進んでいる。しかし,その一方で,周囲の平地民や支援のNGOスタッフ,政府職員,ジャーナリストらとPO(住民組織)が作られ,その上位団体として,ピナトゥポ・アエタを全体としてまとめるような連帯組織も初めて結成された。噴火は,民族の意識と組織を生みだし,さらにはフィリピン社会全体のなかに占める位置を要求する運動を育みつつある。
- 1996-09-30
著者
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