鮎川義介の対米経済外交 : 1937年〜1940年
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概要
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日中戦争勃発後、日米関係は急速に悪化していったが、日産財閥の創始者で満州重工業の総裁でもあった鮎川義介は、日米経済相互依存を通じた日米戦争回避の試みを太平洋戦争勃発前まで続けた。本論文は、1940年までの彼のそのような活動のなかで重要なエピソードを3つ紹介し、考察する。最初のエピソードは、極東におけるユダヤ人難民問題を関連づけながら2人のユダヤ系アメリカ人のビジネスマン(マックスウェル・クライマンとクーン・ローブ商会パートナーのルイス・ストロース)と米国資本の対日本・満州導入について交渉した話である。次のエピソードは、フランツ・モーデルハンメルというオーストリア人のビジネスマンを介して推進した米国資本の対日満導入交渉についてである。最後に取り上げるのは、重機械の製造会社メスタ社と満州重工業との提携交渉である。本論文は、これらの紹介を通じて、鮎川の抱いていた日米経済提携構想の実現の可能性が、1938年から1939年においては比較的高かったことを示し、前述の3つのエピソードの失敗要因を分析する。
- 上智大学の論文
- 1999-03-31