大学教員の年金制度
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概要
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19世紀から20世紀初頭にかけて、官民を問わず多くの職業で年金制度が確立された。本稿では、北アメリカにおける大学教員を対象とした年金制度について論じる。カナダとアメリカにおける大学教員を対象にした年金制度は、主としてアメリカの産業家、アンドリュー・カーネギーの主導のもと確立された。1906年、カーネギーによる1千万ドル($10,000,000)の寄付によって、アメリカ、カナダ、ニューファンドランド(当時連邦未加盟)の大学教員のための、年金制度の確立を目的とするカーネギー教育振興財団が設立された。年金制度導入に先立ち、退職した教員への恩給支払いをすでに実施していたドイツの年金制度に関する調査が行われた。大学が財団から資金を受ける資格は、その教育水準や宗教との関係など一定の条件に基づいていた。財団は教育水準の向上を目的としていたため、特定の宗派に属する大学を支援することは効果的ではないと考えた。さらに、高度な能力を有する人材を教授職にとどめるだけでなく、年老いたが故に能力が低下した教員を年金生活に送り込むという点において、年金制度は大学の効率化をもたらすものと思われていた。当初、年金は65才を過ぎるか、あるいは25年間勤務した後に支払われた。カーネギー基金は当初不安定な時期もあったが、やがてその機能も安定し、退職した教員への年金の給付も滞りなく行われるようになった。しかし、女性が男性と平等に扱われることはなく、女性の教員の配偶者にまで年金の給付対象を広げることはできなかった。また、1908年の規定変更により、未亡人にもようやく年金が支給されるようになったものの、夫が受け取るべき額の半分に制限されていた。カーネギー・プランは、年金が導入された他の職場と同様に、年老いたがゆえに能力が低下したと思われる人々を排除することにより、効率性を高めることを意図したものであった。19世紀の産物である高齢者を蔑視する風潮により、高齢の労働者は効率性を追及する上での障害として見なされたのである。
- 1997-03-31