戦時体制下における仙台市教育研究所の研究活動の展開に関する一考察 : 1937年から1942年の廃止にいたるまで
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
本研究は戦前日本の市設教育研究所として独自な存在であった仙台市教育研究所の1937年から1942年の廃止にいたるまでの事業内容を解明することを目的としている.1936年創設時の主たる目的は,仙台市の実情と子どもの発達の科学的研究に基づいて教育計画を立案することにあった.初代所長である及川平治は,就任以来,1939年に亡くなるまでこの目的の実現に努め,地方の特色を無視した国の教育計画と対峙していた.一方,二代目所長の津田信雄は国の進める国民学校体制の実現と,戦時統制が強まる中での愛国心の育成とに重点を置いた研究活動を行っていた.即ち,及川と津田とを境に,研究所は市の教育内容にかかわる事項を調査研究し,地域に立脚した教育を指導する機関から,文部省の国民学校の伝達講習的機関へと性格が変わったのであり,それが研究所廃止の原因の一端となったのである.
著者
関連論文
- 戦時体制下における仙台市教育研究所の研究活動の展開に関する一考察 : 1937年から1942年の廃止にいたるまで
- 1930年代の明石女子師範学校附属小学校におけるカリキュラム構成 : 公開研究会教案に基づく分析