交通事業の公共性 : 公・共・私 (藤井彌太郎教授退任記念号)
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概要
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交通事業,とくに公共用交通public transportについては,公共性を言われることが多い。公共と言うとき,わが国では公のニュアンスが強いが,publicには共あるいは公衆の意味がある。市場経済社会で公共性ということが言われるのは,市場に重要な失敗があること,また市場に限界があることを意味している。市場の失敗のとき,すなわち完全競争の条件が充たされないときや,市場が欠落するときには,社会・政府が市場に介入する根拠となるが,そのときの判断の基礎は依然として私的な選好にあり,介入は市場の補正である。しかし,市場の取引が当事者の状況を改善すると言っても,それは初期条件を所与とするからであり,そのことが市場の限界となる。そこから,公正としてのミニマム確保,機会の均等,世代間の配分などの価値判断を伴う要因が,私的な選好から離れた公の領域を形成する。公共性は,市場への介入の根拠となる市場の失敗と市場の限界の諸要因の総称であり,曖昧さや公へのすり替えを生じやすい。本稿では,公共の共の部分に注目する。公と私の間で,共には,ローカルな公としての共と,私の集合としての共がある。ローカルな公としての自治体などの共同組織は,メンバーが相対的に同質で政治的外部性が小さく,それが地方分権の一つの論拠となる。しかし,共の組織は,メンバーの間では公であっても,対外的には私として行動する。私と集合しての共については,クラブ理論が展開されてきた。とくに,所得が増加するほど,共の組織は私に移行するとのブキャナンの指摘は重要であるが,価値観の多様化や情報の共有化のような社会の変化からすれば,私的な共を活用する機会は大きい。交通におけるローカルな公と私的な共の具体的な例にふれ,さらに水平的な共と時間的な共のケースとして高速道路の料金に言及する。
- 慶應義塾大学の論文
- 2000-08-25
著者
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