中華民国初期の蔡元培と魯迅
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
蔡元培は1868年1月11日浙江省紹興府山陰県城内の北のはずれに近い筆飛弄に生まれた。そこからほぼまっすぐに南に下っていくと、東昌坊口とういところがある。魯迅はこの地に生まれた。蔡元培に遅れること13年余、1881年9月25日のことである。同じく紹興に生まれたこの二人の人物は、その活動分野こそ異なっていたが、ともに中国近代史上に巨大な足跡を残している。二人の関係は、1912年の出会いから1936年の魯迅の死に至るまで、即かず離れずというものではあったが、交流が途絶えることはほとんどなかった。そんな彼らが出会い、職場をともにしたのが中華民国建国直後の草創期の教育部であった。拙稿では、蔡元培と魯迅の交流が始まった中華民国初期に焦点を絞って、歴史的事実を掘り起こしていきたい。
- 熊本大学の論文
- 2002-03-20
著者
関連論文
- 何震と幸徳秋水
- 中華民国初期の蔡元培と魯迅
- 老舎「陽光」について
- 林[ジョ]と「文学革命」
- 茹志鵑「百合の花」について
- 蔡元培と中国民権保障同盟 : 中国民権保障同盟をめぐる人々その2
- 劉曉民著『日本語・中国語慣用語法辞典』
- 魯迅と楊銓 : 中国民権保障同盟をめぐる人々 その1
- 中国民権保障同盟の成立 : 中国現代知識人の「民権」擁護運動
- 石評梅の生涯 : 石評梅略伝初稿