<講演>イエスは福音に属するか : マルティン・ケーラーにおけるハルナック批判をめぐって(第13回日本伝道協議会主題講演)
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概要
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「キリスト教の本質」という概念はヨーハン・ザーロモ・ゼムラー(Johann Salomo Semler, 1725-91)によって初めて用いられたと言われるが,しかしこの問題が論じられるに至る土壌は,すでに18世紀の開始と共に準備されはじめていたと言ってよいであろう。つまり,エルンスト・トレルチ(Ernst Troeltsch, 1865-1923)が指摘するように,それは啓蒙主義にはじまる近代意識の開始の時代であり,伝統的な教義からの解放と新しい神学思想の形成の時代であった。啓蒙主義的キリスト教は理性を尊重し,キリスト教信仰が理性に耐えうるものであるかどうかを鋭く問うものであった。キリスト教は真理を主張する。しかし今や真理とは,理性を介して誰にでも近づきうる普遍的なものでなければならないというのである。したがって,近代神学はもはや伝統的教義から論じ始めることを自明とすることはできない。むしろ,そもそもキリスト教とは何か,キリスト教の真理とは何かというキリスト教の本質論が,近代神学の主要な問題として不可避のものとなった。本稿は,キリスト教の本質の問題そのものを扱うものではないが,そうした経過の中であらわれたアドルフ・フォン・ハルナック(Adolf von Harnack, 1851-1930)の有名な講演『キリスト教の本質』(1900)と,それに対して書かれたマルティン・ケーラー(Martin Kaler, 1835-1912)の論文「イエスは福音に属するか」(1901)を中心に,両者の議論を比較した上で,ケーラーにおける福音理解を明らかにしようとするものである。
- 2003-03-25