戦後の三里塚牧場の開拓と沖縄・久米島
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概要
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この論文は,戦後千葉県各地で入植・開拓が行われ開拓農業協同組合が全県下で113ケ所も組織されたが,それらを総体として取り上げるのではない。三里塚の御料牧場に入植した沖縄県出身者の入植時の非常なる苦労やその組合の推移を辿り,かつその中心となった久米島出身者との関係を追跡したものである。沖縄県人は伝統的に海外や日本本土への移民が多かったが,久米島もその例外ではなかった。その一人に与世盛智郎のようにハワイで薬剤師として活躍していた人材も存在した。その与世盛が戦争最末期以後,日本本土に在住していたので,郷里に帰れなくなった県人とくに久米島出身者を集めて御料牧場の開放に着手し,開放に成功した。与世盛が組合を去った後,組合の経営は娘婿の上江洲智泰ら同じ久米島出身者に委ねられ,ようやく生活の安定が得られたとき,全く突如として成田空港問題が発生し,立ち退きを余儀なくされたのである。この論文は全体の構成を打ち合わせた上で主として神田がまとめたが,その際,数回の聞き取り調査については高澤の協力を得た。とくに沖縄本島での石川友紀・上江洲智泰氏との,久米島での喜久永正・上江洲智隆氏との面談については細部にわたる点検を経て作成されたものである。
著者
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