1800年までのヨーロッパの文献にあらわれた伊勢地方
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概要
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主としてKapitza『ヨーロッパにおける日本』(1990年)に依拠して,1800年までの時期にどの程度の伊勢地方の情報がヨーロッパに伝えられていたのかについて報告する。同地方に関する情報量は,鎖国以前の時代を含めても多くはなく,情報の種類も限定されている。その大半は東海道筋の宿場町に関連しているか,または神道に関する解説文の中に出てくる。東海道筋の宿場町に関する主たる情報源は,イェズス会士,Kaempfer,Thunbergであり,三者とも実際に東海道を往来した。イエズス会士は伊勢地方の政情や戦況を伝え,Kaempferは判断や評価を差し控えた人文主義的な観察態度で詳細な地誌的な記録を残し,Thunbergは医師としていだいた公衆衛生への関心に添って見聞録を著した。伊勢神宮に関しても上記三者が情報源である。特にKaempferは文献中心の研究方法を採ったために情報量が豊富で話題が多岐に渡り,その結果Thunbergに至るまでKaempferを越える者は出なかった。Kaempferによる神道や浄・不浄,伊勢参りに関する記述は,ArgensやClaudiusがヨーロッパでの宗教論争に利用するところとなった。
- 三重大学の論文
- 2001-03-25
著者
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