群馬の詩人・児童文学作家おの・ちゅうこうの学校時代における文学的軌跡
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概要
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おの・ちゅうこうの文学を論ずる場合,彼の故郷利根郡白沢村を切り離しては考えられない。児童文学史上ではちゅうこうを,「望郷の詩人」という言いかたをするのが通説になっている。ちゅうこう自身も,「俺は"望郷の詩人"だ」と自称してはばからない。上州に生まれたことを喜び,上州人であることに愛着を持ち,上州の土を踏むことに,ひたぶるな感激を如実に表現する。一面,酒を愛し,酒におぼれ,酒に生きてきたことも事実である。ちゅうこうの場合,酒なくして人生はあり得ず,酒なくして文学は生まれなかったといっても過言でない。そのため,酒乱,放蕩無頼の悪評を受けて,彼の文学まで自ら傷つけるような結果にもなりかねなかった。だが,今氏が亡くなってみて,この望郷詩人の詩作品や児童文学作品は,毅然としたいぶし銀のような,淡く渋い光を放っている。「去るものは,日々にうとし」というけれども,氏のために,また彼が愛した郷土のためにも,そして日本児童文学史のためにも,一日も早い「おの文学」のための資料を収集整理し,保存しておかなければならない。散失してしまわないうちに,これ等をとりまとめ研究し,その論稿をのこしておくことが急がれる。その先弁を誰かが切らなければという「義務感」みたいなものがあって,筆者はこのことに着手した。構成を二分して,前半を氏の誕生から小学校・旧制中学・師範学校卒業までの「学校と文学とのかかわり」,そして後半を実社会に入ってから,氏がこの世の文学生活を閉じるまでの「作家・作品論」というふうに区割りをした。本稿はその前半の部分にあたる論稿である。資料を収集・整理・分析・検討しているうちに,私の「おの文学」解明への「義務感」は,次第に「使命感」みたいなものに,少しずつ変容していった。後半の「作家・作品論」も,いつか日を改め,稿を新たにして筆をとりたいと思っている。この稿が志を同じくする他の人々の研究の手掛りに,多少でも役立つならば望外の幸いというものである。
- 1992-12-01