理解はいかにしてなされるべきか : ハイデッカーにおける解釈学的なものの構想について
スポンサーリンク
概要
著者
-
浅野 貴彦
関西学院大学哲学研究室
-
飯塚 智(訳)
関西学院大学文学研究科
-
浅野 貴彦(訳)
関西学院大学文学研究科
-
ギュンター フィガール
チュービンゲン大学
-
フィガール ギュンター
テュービンゲン大学
-
ギュンター フィガール[著]
チュービンゲン大学
-
飯塚 智(訳)[他]
関西学院大学文学研究科
関連論文
- 翻訳 美的カテゴリーとしての時間と現前
- 『連帯性-人格と社会的世界-』
- 趣味と文化 : アーレントのカント批判によせて
- 理解はいかにしてなされるべきか : ハイデッカーにおける解釈学的なものの構想について
- 存在の経験と翻訳 : ハイデガーについての解釈学的考察