<論説>酒田町の都市住民の階層構成と商工業者の地位について (神立春樹教授退官記念号)
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概要
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本研究は,日本の鉄道網が形成される以前において奥羽地方を代表する港町であった酒田町を対象として,明治30年前後における都市住民の階層構成と,経済活動の主要な担い手であった商工業者の社会・経済的地位及び都市住民の最上層に位する住民の性格と機能を検討することによって,酒田町の都市構造の解明を目指したものである。都市の住民構成を近代にまで遡って明らかにしようとする研究が開始されたのは1970年代以降のことである。海野(1970)の研究を先駆として,葛西(1977aI,1977b・1978),輿(1980a・1982),神立(1986・1991)の研究は,いずれも第1回の『国勢調査報告』を基本資料としているために,1920年時点での都市の住民構成が検討の対象となっている。都市の住民構成に関する研究は,この間に,工業の発展と都市の住民構成の関係に限定した視点から,輿(1982)と神立(1991)の研究によって年齢や世帯分析へと方法的にも進展した。しかし,1920(大正9)年の第1回「国勢調査」に先行する時期については,一般に,都市住民に関する詳細な職業別構成の内訳とその存立形態を構造的に明らかにできるだけの条件が備わっていないという事情から,静岡県東部と中部地方の町場における主要町民の職業分布を明治中期について検討した浅香(1977・1978)と,今治における都市住民の職業構成の変化を明治末から大正中期について詳細に分析した奥(1980b)あるいは岡山における都市住民構成の再編を明治前期について検討した神立(1988)の研究があるとはいえ,都市住民の職業構成と階層構成との関連を分析して都市構造の解明を企図する研究は,立ち遅れている。日本の近代,とくに明治期については都市の住民構成に関する研究はこのような研究状況に留まっており,「国勢調査」に代用できるような研究資料の発掘と新たな研究方法の開発が求められている。本研究はその一つの試みにすぎないが,筆者(葛西,1997,1998)にとっては,すでに公表した明治・大正期における山形県の移坦入貨物流動の変化と最上川舟運の衰退過程に関する研究を補完する意味合いをもっている。
- 岡山大学の論文
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