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詩人会議 | 論文
- 故里の海になった壺井さん (壺井繁治没後25年)
- 新春座談会 詩人会議の展望と期待--2001年を迎えて
- 時代と向き合う感性 (シンポジウム いまを表現するモチ-フとテ-マ)
- 卵を抱いて冬を越す大地のために 作品批評7・8・9月号
- 詩人論(2)葵生川玲--「見る」のではなく「視る」
- 詩集評 誰もが自分に即した詩を持っている
- 詩集評 未来への記憶としての詩
- 詩集評 詩を書くことの「二重の困難」
- 詩集評 ぬらした指を乾いた空にさしだす
- 詩集評 広場への道、広場からの道
- 詩集評 記憶への橋に吹く風[おしだとしこ詩集『流れのきりぎしで』,やまもとあつこ詩集『まじめなひび』,大西則子詩集『ときの雫ときの錘』ほか]
- 詩集評 「生存・誇り・未来の危機」の向こう側へ[中原道夫詩集『人指し指』,甲田四郎詩集『冬の薄日の怒りうどん』,新井高子『タマシイ・ダンス』ほか]
- 詩集評 「負の祝祭」の場のなかで[門田照子詩集『終わりのない夏』,有吉篤夫詩集『埋められた土笛』,酒井力詩集『白い記憶』ほか]
- 詩集評 詩を書き始めた場所にもう一度立ち返る[田中郁子詩集『ナナカマドの歌』 伊藤悠子詩集『道を 小道を』 藤井わらび詩集『むらさきの海』 ほか]
- 詩集評 どのような接続詞で切り結ぶのか[尾崎まこと詩集『カメラ・オブスキュラ』 小川アンナ詩集『うすむらさきの陰影』 成耆兆詩集『忠正路の人々』 ほか]
- 詩集評 生きる擦過音としての言葉
- 詩集評 表現するとはいかなる行為なのか
- 参加者の感想 (夏の詩の学校)
- 詩集評 隠喩が結ぶ映像の美しさ
- 詩集評 体験を経験にして