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慶応義塾独文学研究室 | 論文
- 自己との出会い--パウル・ツェラ-ン詩の解釈-1-〔独文〕
- 自己との出会い--パウル・ツェラ-ン詩の解釈-2-〔独文〕
- ツェラ-ンとハイデガ---詩作と思索のあいだで
- ボブロフスキ-とサルマチアの自然--「鳥たちのいる風景」を中心に
- H.シフとK.E.フランツォスのユダヤ・アイデンティティ問題
- 中欧ユダヤ人同権運動に対するL.コンペルトとE.クルケの見解
- ヴィ-ラントの遠近法--小説中の読者像分析〔独文〕
- 証言としてのホロコ-スト文学
- ナチ強制収容所で生まれた詩について(1)
- ヘルダ-におけるレッシングの理性理念の受容について--レッシング「エルンストとファルク.フリ-メ-ソン員のための対話」,ヘルダ-「人間性促進のための書簡」第26書簡を中心に〔独文〕
- 「カリゴネ-」におけるヘルダ-美学の基本思想--カント「判断力批判」における「美」及び「崇高」概念への批判〔独文〕
- ヘルダ-の歴史哲学における分極性と形態学の思想〔独文〕
- 指示代名詞der,dieの名詞的用法について--人を指す場合の口語性とテクスト類との関連性,及び諸機能
- 現代ドイツ語の過去形と現在完了形に関する語彙レベルからの一考察--特に過去形の出現優位性について
- 神の寵児とイロニーの視線--メタ・ロマーンとしての『のらくら者』
- 「様式の文学」としての叙事詩--詩学の歴史におけるChr.M.ヴィ-ラントの詩的創造の意義
- ホ-フマンスタ-ルの作品における存在段階論的変容の描写--「ばらの騎士」の侯爵夫人と「影のない女」の皇后〔独文〕
- 神話としての現実--ゲルハルト・ハウプトマンのガラス小屋メルヒェン『それでもピッパは踊る』
- B.シュトラウスとFr.ヘルダ-リン--"Diese Erinnerung…"をめぐって
- ボートー・シュトラウスの戯曲 「イタカ」における暴力の使用について