近世の百姓と米 : 金沢平野を事例に (特集 アジアにおける稲作文化の多元性)
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概要
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小稿では、金沢平野を事例にしながら、近世中期の百姓と米の関係について明らかにした。近世の百姓が年貢として納めていた米は、これまで「米」とひとくくりにされてきた。しかし、その内実をとらえてみると、早稲・中稲・暁稲・早糯・遅糯・暁糯の6つに分類され、100以上もの品種があった。そのなかには大唐米、いわゆる赤米も含まれており、百姓は食用にするだけでなく、家や屋根を修理するために藁を用いていた。百姓が作付けしていた米のなかには、多くの赤米が含まれていたと推測される。これだけ米に多くの品種があった要因には、近世前期から百姓が品種改良を試みていたことがあげられる。近世中期以降、多くの品種のなかで何が作付けされていったのか、その実態を見極めることは、近世の自然とヒトの関係を評価する新たな視点になると考えられる。未公開:論文中の史料1・2、6~11は著作者の意向により削除
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