有名建築その後 読売会館(旧有楽町そごう)コマーシャリズムが求めた新たな外壁
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概要
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村野藤吾が設計した読売会館は,長い間,「有楽町そごう」として親しまれてきた。建物の大半を百貨店が占めていたからというだけではない。竣工当時から「有楽町そごう」として,強烈にアピールした経緯がある。 戦後,復興する街に百貨店ブームが訪れ,疲弊した東京へは関西の百貨店の進出が相次ぐ。1954年に東京駅八重洲口に大丸が出店したのに続き,阪急が数寄屋橋で開店。
- 2002-01-07
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