富山県高岡市における歴史的町並み保全
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概要
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はじめに<BR> 1975年の文化財保護法改正による伝統的建造物群保存地区(以下,伝建地区)の制度は,2009年6月現在で85地区を数え,歴史的町並み保全の手法として活用されている.伝建地区は,重要文化財や天然記念物と並ぶ文化財の一種として扱われる.しかし,ほかの文化財と異なり,伝建地区はその空間的な特性のため,都市計画行政や農水行政などとの連携がおのずと必要になってくる.また,建築物という民間所有物に対し,規制をかけていくことになるため,伝建地区選定に対し,住民の理解が得られない場合もある.そのため,伝建地区の選定に際し最初に行われる「伝統的建造物群保存対策調査」(以下,保存対策調査)が行われたものの,伝建地区の選定を受けていない地区も多い.<BR> 富山県高岡市には,1985年に保存対策調査が行われ,2000年重伝建地区に選定された山町筋地区がある.また,1993年に保存対策調査が行われたもののいまだ選定に至っていない吉久地区や,2008年に保存対策調査を行い,現在選定に向け住民参加型の活動を続けている金屋町地区がある.本発表では3地区の歴史的町並み保全の活動を報告する.<BR><BR>山町筋地区の概要と町並み保全活動<BR> 山町は,重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山祭」の「山車」もしくは「獅子」を所有している10か町を指す.町並みの特徴は,明治時代の大火以降に建てられた2階建,切妻造,平入り,瓦葺などからなる土蔵造りの町家である.なかにはレンガ造りの防火壁や大きな箱棟,装飾された鋳物の鉄柱などを有する町家もある.このような伝統的な祭りの継承と土蔵造り建築の維持から,この地区の財力やアイデンティティが伺える.山町筋地区は,まず専門家による町並み調査が行われ,それを継承する形で,1985年に保存対策調査が行われている.山町筋地区における町並み保全活動の萌芽期と位置づけられよう.しかし,その後,停滞期に入る.最大の転機は,1992年の中層マンション建設計画である.住民は反対こそしなかったものの階数制限ができないかと考え,この機会に住民組織を結成した.教育委員会は,伝建地区選定の有用性を住民へアピールし,2000年,重伝建地区の選定に至る.現在は,修理事業が着実に進められ,住民主体のイベントの開催など,発展期として位置づけられる.<BR><BR>吉久地区の概要と歴史的町並み保全活動<BR> 吉久地区は,江戸の幕末から明治初期に米商によって繁栄した地区である.「さまのこ」と呼ばれる千本格子が特徴的な町並みを形成している.また,道が緩やかに曲折していることも特徴である.吉久地区は1993年に保存対策調査が行われた.これはこの地区を知る専門家からの提案により,高岡市が文化庁に提案し行われた.しかし,今日まで伝建地区の選定には至っていない.周辺住民を中心とする住民組織の結成や,芸術家,大学生が参画した芸術イベントの開催など,ソフト面の取り組みによる住民への啓蒙活動がなされており,地道な啓蒙期にあるといえる.最近では高齢化や空家の発生という課題が生じており,新たな局面にある.<BR><BR>金屋町地区の概要と歴史的町並み保全活動<BR> 金屋町地区は,鋳物の町として知られる.町並みは,吉久同様「さまのこ」が卓越している.金屋町地区では,行政・住民双方の取り組みが初期段階から見られる.町並み整備はハード面を中心に1984年以降集中的に取り組まれている.これは,伝建地区の取り組みとは関係なく,行政の担当部局も都市計画課であり,富山県による事業も行われている.住民側は,伝建地区の選定は受け入れない立場をとっていた.そのため,ハード面の事業はあくまで公共空間に限定された.この事業が終わると,停滞期に入る.2006年,住民との約束であった「鋳物資料館」が開館し,住民の世代交代,先行事例である山町筋の経過などを背景に,2008年保存対策調査が行われた.現在,伝建地区の選定に向け,ワークショップの開催など住民参加型の活動が進められている.
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