東京地学協会の沿革
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概要
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筆者は地学協会報告や地学雑誌を明治34年頃から播いてはおつたが, 地学協会なるものを認識したのは明治38年, 地質調査所に奉職してからのことである。39年に札幌に轉任してから大正10年調査所に復職するまでの問は, 協会の運営その他のことには全く触れず, 従つてこの間の経営事情と事業とについては詳しく記憶していないが, 2度目に調査所に戻つて以来は, 当時の主幹井上禧之助氏 (当時の地質調査所長) のもとで協会に往来すること頻繁となつた。しかしてまた間もなく雑誌の編集主任となつてからは, 昭和7年まで12年間, 協会の事業・運営等にも親しく接触しておつた。同年退職後6年間は在京し, その後6力年間は満洲に往復しておつたが, 監事の職を継続しており, 絡戦直後は当時の主幹山根薪次氏を補佐し, 引続き協会事務と復興計画に干與してきた関係から, 本会の来歴については, 現在活躍しておられる諸会員中最も永きに亘り事情を知つておるほうかも知れない。創立者たる花房義質氏や榎本武揚氏等の容貌・態度等を記憶しているものも極めて少数であろう。そこで甚だ暦越ではあるが, 菲才・拙文をも顧みず筆を執つたのは, 本協会創立75周年に際してあえて協会設立の趣旨と75年の歴史を一括して後世に記録保存したい微意からであつて, 古い本協会記録・協会報告および地学雑誌を基とし, さらに明治工業史その他を参照とし, かつ私の記憶をひき出して編述したものである。 (昭和29年5月)
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