近代における茶の湯家元と天皇との距離 : 天皇・皇族への献茶にみる家元の社会的地位の向上
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概要
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茶の湯の歴史について、現代の流派や家元のあり方をイメージしながら過去を論じていることはないだろうか。近世中期に生まれた家元という存在は、近代における紆余曲折をへて、現在の姿に至っているのである。 近代の茶の湯を理解するうえで重要なことは、二つの茶の湯文化の存在である。一つは華族や財閥関係者などの「近代数寄者」とよばれる人々が実践した、道具の鑑賞を主目的とする「貴紳の茶の湯」である。もう一つは、おもに庶民層に広まった、家元を指導者とする、点茶技術の習得を主目的とする「流儀の茶の湯」である。これらは、それぞれ近世における「大名茶」と「わび茶」を継承するものと考えられる。この二つの茶の湯文化の消長に着目しながら、家元と「天皇との距離」を指標として分析すると、その結果はつぎのとおりとなる。 近代の前提たる幕末期には、裏千家家元による「天皇への茶献上」があり、家元は、天皇との何らかの直接の関係を結んでいた。しかし、明治期にはいると、「流儀の茶の湯」は衰退し、「貴紳の茶の湯」が優位を占める状況となる。「天皇との距離」でいえば、家元は、パトロンの陰の存在におかれることとなる。大正・昭和初期には、家元は、当時の皇后をはじめとする「皇族への献茶」を実現する。これは、動揺する天皇制を再編するという皇室側からの働きかけによるものであるが、結果的に、家元は「天皇との距離」を近づけることに成功することとなった。第二次世界大戦後には、華族制度の廃止などの民主化改革により「貴紳の茶の湯」は解体し、それ以降の茶の湯の世界は「流儀の茶の湯」の全盛期となる。そして、現在では、昭和五十八年(一九八三)の裏千家と三笠宮家との婚姻の結果、家元と「天皇との距離」はごく近いものとなっている。 このように、近代における茶の湯の歴史を検討すると、現代の家元は、それ以前の家元のあり方とも異なる存在に大きく成長していることが理解できるのである。
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