新潟水俣病と補償金の情報開示
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概要
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寄稿(依頼)論文昭和30年頃から同40年代にかけて新潟県中央部の阿賀野川流域において新潟水俣病と称されている有機水銀中毒が発生し多数の住民が犠牲になり、その累加は今日に至っている。この症状は、石灰石を原料としてアセトアルデヒドを得る生産方法を採用していた大手化学工場が副産物のメチル水銀を排液と共に阿賀野川に排出し、阿賀野川の生態系を通じて魚介類等に蓄積させ、これを人が摂取したために生じた。症状は死亡者を出すほどの悲惨を極め、被害者は新潟地方裁判所に提訴し、勝訴した。最終的には和解が成立し、県の手厚い保護政策も行われている。新潟水俣病の研究は医学および工学の方面では広く行われてはいるが、社会科学では少ない。ここでは、Physical Accounting Approachによって新潟水俣病を歴史的に検証し、かつ原因企業の有価証券報告書によって新潟水俣病の今日的意義を探り、①いかなる地域においていかなる災禍が発生していたか、②当該企業の外部報告機能が正確に維持されていたか、③被害者に対する補償の支払いと開示はどのように行われていたかに関して検証する。当研究による結論は、次のとおりである。① 通常の生活を営んでいた人々が熊本水俣病と同様の悲惨な災禍を浴び、その地域は阿賀野川流域に留まらず山間部にまで及んでいた。また、新潟水俣病の発見当初は補償と謝罪はなく、大幅に遅れた。② 一貫して企業責任はないということが主張されており、投資家であり社員である株主の保護が優先された。また、被災者による新潟地方裁判所への提訴に関する弁明は、有価証券報告書の付随情報として完全に行われた。最新技術に必然的に付属する負の生産物に関する配慮は欠如し、結果的に収益性優先が貫かれた。③ 補償金は総計23,000百万円に及んだが、財務諸表規則の改訂に応じて、記載は、繰越利益剰余金の減少の部、剰余金計算書の部、特別損失の部と変遷した。開示は終始、経営方針や営業行為のらち外の事柄とされた。
- 2012-03-31
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