なぜ, 日本語を「教え」てはいけないのか : 地域日本語活動における「教える−教えられる」関係に対する批判の再考
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概要
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1980年代の後半以来,ニューカマーの急増に伴い,日本語の学習需要が発生した.これには市民ボランティアを主体とする地域日本語活動が対応してきた.この地域日本語活動には非対称的な「教える−教えられる」関係が働いていると指摘され続けている.本稿はこの現象に注目し,この関係に対する批判言説の背景と構造を考察する.分析の結果,「教える−教えられる」関係を批判する言説が実際には「教えられる」者の主体性を考慮に入れておらず,「教える−教えられる」関係を解消するよりも,それを温存してしまうことが分かる.一方で,「教える」者と「教えられる」者の主体性を尊重し,その両者が合意に至る過程を重視する動的プロセスとしての「教える−学ぶ」関係の構築こそが,「教える−教えられる」関係に対する批判にもまさり,これからの地域日本語活動にとっての一番の課題である.
- 2011-12-20
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