紀州藩石場預役と漁業社会
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概要
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天保期に紀州藩は、寒天製作国産化の一環として、豆州白浜村や稲取村における天草集荷の請負を入札によって獲得したが、この請負の全般を担当したのが豆州戸田村名主の勝呂弥三兵衛であった。本稿は、この勝呂家が、紀州藩とどのような関係にあり、また天保期に、紀州藩のもとで天草集荷以外にどのような活動を展開したのか、検討したものである。検討の結果、勝呂家は、寛永期に紀州藩が江戸城に運ぶ城石を戸田村で切り出したときの石場預役となり、その後輸送船であった藩船を下付されたとの由緒を持ったこと、この由緒は文政五年に戸田村が沼津藩領に替わって以降、勝呂家によって強く自覚され、特に天保期には江戸藩邸への石献納が活発化したこと、こうした由緒を論拠に、勝呂家は村内漁民を水主として編成する擬制的な船主-水主関係を維持できたこと、また嘉永六年の村との争論で浜方分一運上請負の継続を勝ち取ったこと、などを明らかにした。
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